2010/01/20(水)「病者の祈り」NY リハ研の詩

久しぶりに、べてるの本を読んだ。

べてるとは、北海道にある「べてるの家」という精神障害などの当事者活動拠点。向谷地さんというソーシャルワーカーと当事者グループが試行錯誤して作り、ユニークな活動で年間3500人以上が見学に来るらしい。まあ、そのうちの20名くらいはウチのクラスでした。

引用

 「病気でもいいや」って考えるようにしたら落ち着いたよ。もう諦めて病気路線でいくことにしたよ。(笑)その方が楽だよ。と聞いて思いだしたのが、ニューヨーク リハビリテーション研究所の壁に書かれた「病者の祈り」という有名な詞。

大事をなそうとして力を与えてほしいと神に求めたのに、慎み深く従順であるようにと弱さを授かった。

より偉大なことが出来るように健康を求めたのに、より良きことができるようにと病弱を与えられた。

幸せになろうとして富を求めたのに、賢明であるようにと貧しさを授かった。

世の人々の賞賛を得ようとして権力を求めたのに、神の前にひざまずくようにと弱さを授かった。

人生を享受しようとあらゆるものを求めたのに、あらゆることを喜べるようにと生命を授かった。

神の意にそわぬ者であるにもかかわらず、心の中の言い表せない祈りはすべてかなえられた。

私はあらゆる人の中でもっとも豊かに祝福されたのだ。

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「人生を享受しようと~」のあたりから、自分の中で解釈できていないが、そのうちわかるのかな?

なんとなくキュブラーロスの「死(障害)受容の5段階」を思い出した。

・否認・・・自分が死ぬということは嘘ではないのかと疑う段階である。
・怒り・・・なぜ自分が死ななければならないのかという怒りを周囲に向ける段階である。
・取引・・・なんとか死なずにすむように取引をしようと試みる段階である。何かにすがろうという心理状態である。
・抑うつ・・・なにもできなくなる段階である。
・受容・・・最終的に自分が死に行くことを受け入れる段階である。

まあなんか良い感じ。